WMFでデビュー。WMFを退団後は666所属としてさまざまな団体に参戦する。大日本プロレスにも継続して参戦していたが、2006年の「デスマッチファイター募集」に真っ先に名乗りを上げ、6月4日桂スタジオ大会でデスマッチデビューを果たした。線は細いがダイナミックな空中殺法を武器にデスマッチ戦線へ切り込む。
2007年1月、後楽園大会でメインイベント出場を抜擢されたのを機に頭角を現し、3月には佐々木貴の保持するデスマッチヘビー級王座へ自らが提案した「廣島大治組プレゼンツ 高所作業につき立体足場建築現場デスマッチ〜one night carnival〜」で挑戦。敗れはしたものの、3月にして年間ベストバウトとうたわれる名勝負の呼び声高く、一気に名を上げた。
2008年12月、横浜大会でシャドウWXを破り第24代デスマッチヘビー級王者となる。 |